先日義母が亡くなりました。
義母の家(主人の実家)の片付けを始めましたが、これが地獄の始まりでした💦
昨日の記事はこちらから
義母の家を片付けをしているうちに、心身共に疲れてきてしまいました。
何しろ緊急でマレーシアから一時帰国しているので、私たちにはあまり時間がありません。
主人も私も、もうどうでもいいや❗️少しでも荷物を少なくしたい❗️という気持ちになってきてしまいました。
これが、後で後悔することになるのですが、、、、
なんとか、1階を征服した私たちは、いよいよ2階の部屋に突入しました。
2階は、主人の部屋だったところと、もう1つの和室があります。
主人の部屋には、大量の本と大量のレコード類が置いてあります。
和室には、これまた大量の義母の和服や洋服が置いてありました。
義母の家の階段は、落ちたら大怪我をしそうなとても急な階段です。ですから2階から、大量の着物を1階へ下ろすのはとても大変で危険な作業でした。
もし、この階段で怪我をしたら、それこそ大変です💦(義母は、以前階段から落ちたことがあります。その時病院には行かなかったそうです。その時の後遺症なのか、晩年義母は腰や背中の痛みに苦しみました。ですから、この階段は、とっても恐ろしいです😆)
義母が残した着物の中に、義母が結婚式の時に着たお振袖があります。この着物は、娘が成人式の時に着せてもらいました。戦後の混乱がまだ落ち着いていない頃だったので、西陣のお店をたくさん回ってやっと手に入れた着物だと聞いています。
これは、私たちもとても思い出がある着物なので、こちらの一式とあと少し2枚ほどの着物を残して、処分することにしました。
このお振袖をお孫ちゃんが、また成人式できてくれたら、こんなに嬉しいことはありません💕
京都人ですので、とっても良い着物をたくさん持っていたはずです。何せ、京は着倒れと言いますものね。
京都の有名な呉服屋さんのえり善さんの着物もたくさん持っていました。でも、詳しく聞いていないのでとにかくどの着物が大切なものなのか、私たちには分からない💦のです。きちんと義母から聞いておけばよかったです。
必死になって💦2階から降ろしてきた着物類(着物、帯、羽織、長襦袢など)は、ざっと数えても70以上ありました😆
なんとかお願いして、すぐに見てくれる着物の買取業者にレンタカーで、持っていきました。(本当は、着物買取りは予約して2週間後くらいにやっと見てもらえるそうです。)
倉庫みたいなところで、義母の着物は、無残に仕分けされていきました。
このコロナ禍で、古い着物の価値は、ほとんどなくなってしまったそうです。(骨董市などもコロナ禍で開かれていないので、需要が全くないそうです💦)
何十万、何百万もする着物も、今は100円にもならないと言われてしまいました。かえって、明治、大正時代のすごく古いものや、帯締め、帯留めや和装のバックの方が、まだ価値があると言われてしまいました。
たくさんの着物を売った結果は、なんと借りたレンタカー代ぐらいにしかなりませんでした😢
その値段よりも義母の着物の価値を全く知らなかったこと、義母の着物がまるでゴミのように扱われてしまったことに、心から後悔の気持ちが湧いてきて、本当に悲しかったです。
でも、この後も追い打ちをかけるように、地獄は続くのでした😢
今日も良い1日でありますように❗️
ブログにお越しくださりありがとうございました。