26年前の阪神淡路大震災の時の話

ひとりごと
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26年前の阪神 淡路大震災の時

私達は 主人の1回目の海外赴任で

アメリカにおりました。

テレビのニュースで 日本の地震のことを知り

関西にある主人の実家に

何回も電話をしました。

でも つながりません。

結局 まる1日電話は繋がりませんでした。

今の様に ネット情報もなかったし

メールのやり取りもできませんでした。

情報源は 時々流れるNHKのニュースだけでした。(日本語放送は 常時見れませんでした)

海外にいる ということは

こういうことなのだと深く感じるた出来事でした。

その後 御両親が同じ関西の地域に住む奥さま

から連絡をいただきました。

やっと電話がつながって 大丈夫だよと

教えてくださったのです。

4年くらい前でしょうか?

スマホのアプリの「ゆれくる」が

地震情報の誤報を流してしまった事を

覚えていらっしゃいますか?

あの時は 娘夫婦のカナダの家にいました

ゆれくるの地震情報が 真夜中に鳴りわたり

スマホの震源地マップを見ると

日本列島は真っ赤に染まっていました

日本列島全滅ではありませんか?

もう 私も主人も心臓が止まりそうでした。

日本にいるもう一人の娘に電話してもつながらいし

寝ている娘夫婦を起こして大騒ぎしてしまいました。

海外にいると

それが誤報かどうかもわからなかったのです。

また 私達は こうして海外生活をしています

ネットでつながり こんなに便利になった今

でも 

コロナのこと

地震のこと

介護のこと

その他色々と

日本との距離を遠くに感じてしまいます。

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