いよいよ、緊急手術が始まるようです。
この時点もうすでに、病院へ担ぎ込まれてから、もう5時間近くたっていたそうです💦
この後も主人からの報告が続きます。
結局、午後4時40分過ぎに、手術室へ向けてベッドが動き出しました。
一緒にエレベーターに乗り手術室の直前までついて行きました。
「あなたはここまで」と言われてしまい、妻と離れ離れになりました。
ソファのある廊下で1人、ただ祈るしかありませんでした。自転車からの転倒だけで、何故こんな事態になるのかと悔やまれました。
手術室の手前で妻と別れてるのが心細くて、可愛そうで😢思わず涙が出て来てしまいました。
自分自身の過呼吸状態も続いていました。
これで万が一、最後のお別れになったらどうしたらいいのか・・・
海外で亡くなった方を、日本まで空輸する日本で唯一専門の業者があるという本を、読んだことまで頭をよぎりました。
余談ですが、病院の手術室のことを、Operating Theatresと書くんですね。(イギリス英語?)
米語ならOperation Roomでしょうが、イギリス英語では「劇場」になってしまうのが興味深いです。
とにかく、私を1人取り残して、妻が手術室の中へ行ってしまったのが午後4時40分過ぎでした。
午後7時になり、手術室から人が出てきたような気配がします。閉ざされたドアの窓から覗くと、人が1人、2人と時間差で退出し、手術が終わったことを確認できました。
それからまた少し待った気がしますが、やっと執刀医が出てきてくれました。
思ったより大量の出血であったが全て取り除けたこと、反対側からも少量出血しているがこれは時間が経過すれば吸収されて無くなるだろうとの説明を受けました。
執刀医がスマホで撮った、血液が溜まっている写真と血液を取り去った後の写真を見せてくれました。多分、後遺症の心配もないであろう(言い切れないが)とも言って頂きました。
それから約2時間後(午後9時ころか)、ICUの部屋で妻と対面出来ました。もちろん麻酔で寝ている状態ですが、生きていることだけは確認できました。
(その後も、一度吐いてしまったそうです💦)
それから約5時間後の夜中の2時過ぎ、パッと目が開き自分の名前と私の名前を言うことができたので、安堵感が増しました。
しかし、ここからも、まだまだ心配は続くのです。
(主人より)
緊急手術の間、主人は思わず手術室の前で、泣いてしまっていたようです。
もし、私が反対の立場であっても、同じようになってしまったと思います。
主人には、心から感謝しています。心配かけてしまって、ごめんなさい😅
でも、まだまだこれから大変だったようです。(もちろん、私は、たまに目を開いたらしいですが、まだその後も記憶がありません。)
何だか、私もドキドキと心配になって来ました😅
今日も良い1日でありますように💕
ブログにお越しいただき、本当にありがとうございました。
バリ島第2章その①、その②(入院編)は、こちらからもどうぞご覧ください。
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