マレーシアから一時帰国して、京都に行ってきました。
京都でのいろいろな用事の他に、桂離宮、その近くにある中村軒、そして祇園祭の後祭りなどを楽しんできました。
そんな中、NHK大河ドラマ「どうする家康」に登場する場所にも、訪れることができました。
そんな京都でのこぼれ話の、はじまり、はじまり❗️
まずは、先日放送のあった「本能寺の変」の起きた本能寺の跡です。
四条烏丸の近くに、本能寺の跡の石碑が建っています。
残念ながら本能寺は焼け落ちてしまっているので、この辺りにあったのだと感じることしかできません。
でも、実際に本能寺があったところに立ってみると、ドラマで観た「本能寺の変」がより現実味をもって感じることができました。
そっと、織田信長のことを想い、黙祷してきました。
私たちが2日目に泊まったホテルは、新町通にありました。
三井ガーデンホテル京都新町別邸についての記事は、こちらからどうぞご覧ください。
屏風祭りで、旧家の屏風を見せていただいている時に、地域のガイドの方から、この新町通について、面白い話をしていただきました。
この通りは、京都を南北に通っています。昔から京都市内を流れる鴨川と桂川の氾濫の被害に遭いにくい高い場所にあったそうです。
確かに、西側の横の通りを見ると、坂道で下っていました。なるほど❗️
ですから、その通りには、大きな有名な旧家が連なり、昔からのお宝も代々残されてきたそうなのです。
実際に見せていただいた屏風もその一つです。
確かに、新町通りには、いろいろな屋敷跡を見つけることができました。
ここに豊臣秀吉の宿泊所が、あったそうです。
京都の街に、豊臣秀吉は、何回も訪れているそうですが、この新町通りに滞在していたというは、いかにここが安全で重要な所だったかが、わかります。
新町通りは、平安時代から京都の商業の中心地だったそうです。
大河ドラマで、徳川家康に「本能寺の変」のことを伝えたとされる豪商茶屋四郎次郎の屋敷跡もありました。
こちらは、三井両替店の跡です。この地が、あの三井財閥の基となったそうです。
新町通には、祇園祭りの前祭、後祭合わせて7つもの山鉾が立ち並びます。このことからも、いかに、この地が昔繁栄していたのかが、わかります。
今までは、気がつかなかったようなことをたくさん見つけては、思わずへー❗️と言いながら、京都の街歩きを楽しむことができました。
今日も良い1日でありますように
ブログにお越しくださり、ありがとうございました。
コメント
三井さんは、もとは武将であられたんですよね、でも武将としていは負け、、でもその後、商売では今につづく財閥となりましたね
さすがemiemiさん、よくご存知ですね😄
三井財閥も京都の新町通から、はじまったと思うと、なんだか親近感を感じてしまいました。
京都も、もっといろいろなところを歩いてみたいなと思いました。