主人と話をしていて、気がつきました。
私は、今回で人生3回目の救急車にお世話になってしまいました💦
1回目は、1度目のマレーシア生活を終えた後のことです。
私は、実は小学校の教員でした。
子供たちを返した後、教室で教員用の机に乗って、黒板の上に学級目標を貼っていました。
普通に机に乗っていたつもりですが、気が付いた時は、床に落ちていました💦腰と頭を床にぶつけたようです。
歩けないし、気持ちが悪かったのですが、たまたま学区巡りをしよう❗️と同僚の先生が私の教室にきてくれて気が付いてくれました。(学校の自転車に乗って、学区巡りをするのも仕事の1つでした😆)
学校の養護教諭さんが、すぐに救急車を要請してくださり、なんと勤務している学校から病院へ運ばれてしまったのでした💦
後で聞けば、救急車で運ばれたのは、地域では天国に一番近い病院と言われていたそうです😅
後で、養護教諭さんに、どうしてあの病院で良いと言ってしまったの💦と怒られてしまいましたが、自宅近くの病院はお医者さんが手術中だと言われてしまったので、違う病院でもOKと言うしかなかったのです。(この時も頭を打って気持ち悪かったので、思考は動いていなかったかもしれません💦)
後でお見舞いに来てくれた同僚の先生には、野戦病院みたいね❗️と言われていましました。(あの〜、ここは、日本ですけど💦)
病室は、3人部屋で、残りの2人は寝たきりのおばあさんでした。
誰も家族の人はいらっしゃらないし、ナースコールをすると看護婦さんに怒られてしまうし、とてもかわいそうでした。
代わりに、私が2人のおばあさんのお世話をしてあげようか、と思ったくらいです。
この時は、1週間ほど入院し(ちょうどゴールデンウィーク中)、2週間自宅療養をして、予定よりも1週間ほど早く仕事に復帰しました。
なんたって仕事に復帰してすぐに運動会があったからです😄
子供たちと同じくらい運動会や遠足が大好きな教員でした。授業とは違う時の子供たちの笑顔も好きでした😄本当に子供たちは、可愛いのです❗️
(病院のHPより)
2回目は、朝方に起きようと思ったら、頭がグルグルと回って、気持ち悪くて立てなくなってしまいました。
もう、これは脳梗塞でも起こしたのかと思いました。
救急車が来る間、主人に気持ち悪いからタオルが欲しいというとバスマットを持ってくるし、着替えや保険証を用意してとお願いしてもどこにあるのかわからないし、、、、💦主人は、全く頼りになりませんでした💦💦💦
救急車が自宅に来るまでの私たちの元気そうな騒ぎを聞いて、娘はまだママは死ぬはずがないな。すぐに元気になる❗️と思って、また眠りについたそうです💦
この時は、良性頭位めまい症と診断され、入院せずに帰宅できました。
実は教員を退職する前にも、再び良性頭位めまい症になったことがあります。
この時も4日ほど仕事を休みましたが、クラスのお母さんたちは、先生はガンらしい❗️という噂が密かに広がっていたそうです💦確かに、仕事が忙し過ぎて、疲れていたのかもしれません😆
私は、土日も出勤して仕事をしていました。
過労死ラインを越していたと思います💦
教員の仕事のことについてもいつか書きたいなあ❗️と思います。(でも書いたら、止まらなくなりそうで、怖いです💦)
と言うことで、パンパカパーン🎊❗️人生3回目の救急車体験が、今回のバリ島での事故になってしまいました。
ちょうど病院の前だったので、30秒から1分くらいしか救急車に乗らなかったようですが💦
もうこれ以上救急車にお世話にならないように、気をつけたいと思います。
今日も良い1日でありますように💕
ブログにお越しくださり、本当にありがとうございます😄
今回の入院生活で思ったこと❗️という昨日の記事については、こちらからもどうぞご覧ください。
コメント
HAMAMAさん、実は私も小学校の教員だったんです。
現在は早期退職して夫と二人KLでのんびり引退生活しています。
現役時代、ある朝、起きあがろうとした時、突然、誰かに頭を押さえつけられ布団に叩きつけられたような感覚に襲われました。「良性頭位めまい症」と診断されました。この病気、つらいけれども、ゆっくり体を休めさえすれば治るし、無理さえしなければ発症しないと分かったけれど、仕事柄どうしたって無理をしてしまう時期があります。分かっちゃいるけど、どうしようもない。
で、当然、再発。
今思えば、現役時代は、本当に無茶な働き方をしていましたねえ。
子どもたちは可愛くて毎日が充実していましたが、それでもやっぱり、あんな働き方をしてはいけなかったんだと今になって思います。
えー、KLさんも同業者だったのですね😄
それも、同じ『良性頭位めまい症」だったなんて、勝手に親近感を感じてしまいます。
辛い病気ですものね💦でも、少々頭がふらっとしながら仕事を続けていたりして、私も無理しました。
本当に『ブラック企業」だったなあ💦と今では思います。
ああ、この話をすると、止まらなくなりますね。笑